息子と眼科に一緒に行った時の話です。

夕方の時間帯で眼科は混んでいました。私は息子と並んで待合室で座って、おしゃべりしたりお互いスマホを見たりして、診察に呼ばれるのを待っていました。

そこに3人の子供を連れたお母さんがやってきました。一番上の男の子が小学校高学年くらい。その子がどうやらメガネを作る必要があって眼科に来ていたみたいです。

その下には、小学校低学年くらいの男の子、そして保育園の運動着を着た小さな女の子も連れておられました。

一番上の子の診察なのに、その小さな2人も連れてこなくちゃいけなかったんでしょうね。おうちでお留守番できる感じではありませんでしたし。

そのお母さんは、誰がどう見ても、イライラしていました。怒り散らしていました。小さな弟はくつのままソファの上にあがるし、もっと小さな妹はもうお腹が空いているのかな、ぐずぐず言っています。

『アホか!くつ、脱げよ!』『うるさいな、静かにして!迷惑でしょ!』と、そのお母さんは子供たちよりも大きな声で怒鳴っていました。頭からプスプス湯気が出て見えました。

見た感じ、とても綺麗な身なりのお母さん。お仕事帰りでしょうか。高価そうなバッグも持っておられるけれど、上の男の子がお母さんのそのバッグの中をごそごそと探り出したら、

『勝手に触んな!ドロボー!!』と言いました。

その瞬間に待合室の人たちの目が一斉にその親子に注がれました。うちの息子もびっくりして、私に小さな声で『・・・そんなことゆーか、ふつう。』と言いました。

そのお母さんは、みんなの視線が自分に注がれたことに耐えきれなくなったのかもしれません、突然、一番上の男の子に、まくしたて始めました。

『だいたい、お前がゲームばっかして目が悪くなるからだろ!なんで、こんな忙しい時に眼科こなくちゃなんないんだよ!こっちの身にもなれよ!!』

そう言うと、その男の子はしゅんとしました。周りの人たちもハッとして「見ちゃいけない!」という空気が流れました。気まずい・・・

その後は、うちの息子の順番がきて、診察が終わり帰ることになったので、その後のその親子のいきさつはわかりませんでした。


怒りの下の本当の気持ちは?


心理学を学び始めるの前の私だったら、そこできっと一緒になってイライラしたんだろうな、って思います。「何?あの言い方、ひどくない?!信じられないよ、子供がかわいそうだよ!」って思っただろうな・・・って。

でも、心理学では怒りの下には3つの感情が隠れていると学びました。

怒りの下にあるのは、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」です。

きっとあのお母さんは、いっぱいいっぱい、カツカツになってたんだと思うのですね。助けてほしいですよね、この下の子たちを誰か連れて帰って、ご飯用意して食べさせてやってよ!!くらいに思っていたかもしれません。

実際、大変だと思います。綺麗な身なりの格好をして行くお仕事ですもの。きっと気を遣うお仕事なんじゃないかな、って思うのです。そのお仕事で疲れた状態で、子供を眼科に連れて行かなければならなくなった、しかも下の2人は家に置いておけない。もう、フルマラソンの後に、もう1本!って言われたくらいの感覚になると想像します。

自分1人でなんとかしなくちゃ、って思っておられたのだと思います。そこにはきっと、「もうできないよ・・・誰か助けてよ。」って抑えれない気持ちもあるだろうに、それを見せたって仕方ない、って思うから怒りとして出てしまったんじゃないかなと思います。

お母さんもしんどいんですよね。でも、子供が病院にかかること、避けて通れないこと、いっぱい発生します。

子供に怒鳴りたくなかったでしょうに、どうしようもなかったのでしょうね。後で、「酷いこと言っちゃった」って思っちゃうのかな、って思うと切なくなりました。

世の中のお母さんは本当に頑張っていると思います。私にも2人の子供がいますが、小さな頃は2人ですら、カツカツでした。いったい何本のオロナミンCを飲んだことか、わかりません。

それが、3人となると、その大変さはどれほどかと想像を絶します。1人でなんて無理です。3人の子供を1人でなんて、本当に神業です。静かにさせられなくて、当たり前。静かにしてくれたら、そっちの方が奇跡です。

「私ひとりで出来ないよ!」って思いすぎて、そして、そんな自分をダメだと責めすぎておられるのかもしれません。

夫を頼ったり。もしも夫がいない場合、それならご両親や身近な人を頼ったり。信頼できるママ友さんだったり。行政にも色々と頼れる方法はあります。全てを自分で背負って毎日あれもこれも必死でしておられるからこその、あの眼科での爆発だったんじゃないかな、って思うのです。

でも、あの眼科の待合室で怒りを爆発させても、なかなか誰も助けられません。『はいっ!!ファミリーレスキューです!お困りでしょうか?!』と、駆けつけてくれるレスキュー隊も、残念ながら存在しません。

あそこまで怒鳴って怒りの沸点通り越していたら、近くにおられた人も全く声をかけられない雰囲気でした。

そこまで抱え込まなくていいんです。責任感が強くて、「私が!ひとりで!やらなければいけませんよね!!!」と、思いすぎているからこその態度なんだって思うんです。

自分が頑張らなければいけないと、自分にいくら鞭を打ったところで、できないものは、できません。だから、常日頃から緩めるところは緩め、頼れる人を頼る選択肢を持っておられたら、もう少しだけ余裕が持てたんじゃないかな、って思うのです。

多分、私のカンですけど、そのお兄ちゃんは妹の方を見ながら、お母さんのカバンを咄嗟に探り始めました。何か食べるもの、ないかな、お菓子とか、ないかな。そう思ったんじゃないかと思ったのですね。想像ですけれども、ね。

そして、その子にお母さんが咄嗟に『ドロボー!』と言ったのも、『今日に限って何も持ってないよ、もー!サイアクー!!』って思ったんじゃないかな・・・

怒りのエネルギーを言葉に乗せて子供にぶつけても、良いこと何もないですよね。その子供は自分が責められたとしか思えませんしね。そして、誰よりそのお母さん本人が一番わかってるはず。「この子を責めたいんじゃないのに。」って。

angermother


フタが吹っ飛ぶまで、追い込まないで


怒りは「感情のフタ」とも言われますね。そのフタが吹っ飛んでしまうほど、その下に「助けてよ、もう私の大変さを誰かわかってよ!」ってお気持ちを溜め込んでおられたのでしょうね。

でもその怒りのフタが吹っ飛ぶ大惨事にならないうちに、日頃から無理をせず、「1人でなんて無理」って。これは事実。と冷静に受け止めて、助けてもらうことを重ね、ご自身をパンパンにしないでほしいな、って思うのですね。

昔は子供が多くても、家族も多かったから。おじいちゃん、おばあちゃんが見てくれていたりしました。でも今は核家族ですしね。

助けを求めて、助けてもらえなかったこともあったかもしれません。じゃあもういい!自分でするよ!って、思ってしまったかもしれない。でも、助けてくれなかった人には、その人の事情もあったでしょう。その時は無理だったけれど、未来永劫だれひとり助けてくれない世界に自らの身を置かないでほしいのですね。

助けてほしい人に、助けてほしい形で、助けてもらえないかもしれない。

けれど、今必要なことはそこにこだわるのではなくて1人で抱えず、「誰かに助けてもらう」ってことだったりします。

選択肢を広げて、自分を助けるための行動、自分を守るために誰かを探すこと。

そして、怒りを言葉にのせずに言葉にしてみること。

『お母さんも仕事で疲れてクタクタだよー。もうちょっとだけ我慢しようね。お母さんも、お腹すいたなぁ。』って。

もし、子供たちにそう言葉をかけられていたら、もしかしたら横に座って心配そうに見ていたおばあさんも、小さな子供たちに「絵本、読む?」と、声をかけてくれていたかしれません。

何よりも、あなたはあなたのままで子供たちからしたら一番大切なお母さんだよ、って伝えたいなぁ、って思いました。

帰り道に、私は息子に言いました。『ママも、妹が小さな時にあなたに怒ったりしたことあったね。ごめんね。ママも、しんどかったんだよー。だから、あのお母さんもしんどいんだよ。』って。

そしてね、『あんた、あの男の子の気持ちに寄り添ってあげたんやね。やさしいやん!』と言うと、『・・・うん。まあな。』と言っていました。・・・なに、うんまあな、って。


自分にも周りにも、より良き状況になるように。自分を守る、自分を助ける戦法を見つけておくことって、とっても大切ですね。

また、必ずしも実際に手を貸して手助けしてくれる人ではなくても、気持ちに寄り添って、心のうちを聞いてくれる人がいるだけでも、心が楽になって不思議と目の前のことが、意外とすんなりできたりしますしね。

世の中の、お母さん。
本当にお疲れ様です。
あなたの頑張りは愛です。

でもね。子育てはお母さん1人ではできないよ。子供を1人で作ることはできないのと同じに。

頼れる人を、頼ってくださいね。しんどいよ、って吐き出せる場所を確保してね。頼れる人を、見つけてあげてくださいね、自分のために。そして子供たちのためにも。