こんにちは、一澤藍子です!!
今月に入って色々なことが私の身の回りに起こり、極め付けには夫が右手(利き手)の手首を骨折して入院、手術!という事態が発生しました!!
カウンセリングの枠を大幅に減らしておりまして、みなさまにはご不便をおかけしました事、心よりお詫び申し上げます。
もうーーー、なんでこんなことが起こるんだよーーー!!!
って怒っていた一澤藍子ですが、夫の手術はお医者様、病院のスタッフさんたちのおかげ様で、滞りなく済みまして。やっとこさっとこ、日々が普段通りに戻りつつある状態でおります。
夫は、なぜ骨折したのでしょうか?
結論から言うと、「たまたまです。」って思っています。
家族でお出かけした帰りにちょっと寄り道した広い芝生の公園にて。
小雨が降っていたのですが、家でゲームばっかりしている息子を動かしてやろうと思ったのでしょうね。サッカーしよう!と、夫が誘いました。
小雨の芝生、って滑るんですね。知らなかったんです。私はちょっと離れた木の下でシートを敷いてのんびりしていたのですが、夫が滑って転んで手をついたそうで、子供たちがわーわー言っているので気がつきました。
『折れたんちゃうー?』
冗談ぽく言っていましたが、腕は腫れていくいっぽう、夫はしびれてきたというので、慌てて救急でみてくれる病院を探しました。
帰り道にある大きな整形外科専門の病院で診てくれる事になったので、駆けつけてレントゲンを撮ってもらうと・・・
『あー、粉砕骨折です。まー、バキバキにいってますねー。手術が必要ですー。』
と、若くて髪の長い、ギターを弾いて今にも歌い出しそうなお医者様が笑顔でお伝えくださいました。
なんだってーーーーーー?!この忙しい時にーーーーー!?
なぜ骨折したのか、というと、経緯は上に書いた通りなのですね。
その後の夫ときたら、ずどおーーーーーーーん。ものすごい落ち込み様・・・
もう、あかん・・・若くない・・・、どんくさい・・・・。
人は自信を喪失すると肩も首も下がって下を向いてしまうんだな、っていうお手本のようでした。
『ごめん、迷惑かけて・・・』
ものすごい申し訳なさそうに言うので、私も怒る気も失せました。
後から息子がこっそり教えてくれたのですが、
『パパさんさ、ネイマールのまね!とか言って、ちょっとふざけて蹴って滑ってんで・・・』
って!!!はぁーーーー!?見てなかった私ですが、そんなことをしていたとは!!!どこのだれが、ネイマールだってぇーーー?!
『やっぱさ、ふざけたらあかんよなぁー。』
息子は苦笑いしながらそう言っていました。
おお!学びを得ている!息子が学びを得た!!
それから入院するまでの1週間、家にいましたが、まあ役に立ちませんーー。車も運転できないので、運転手は私100%になりました。いつも、やってくれていたお皿洗いもできません。私100%になりました。
そうすると、自然と手が足りません。いつも私ができていたこともできなくなっていきます。
となると、食べた後のお皿なんかを台所まで子供たちが持っていくようになりました。お皿洗いも、時間があったらしてくれました。(あちこち、泡だらけになるけど・・・)
朝起きなくて何度も夫に起こしてもらっていた息子は声掛け3回目くらいで起きるようになりました。(いつもは12回くらい!)
娘は夫の髪をドライヤーで乾かしてあげたり、服を着替える時、通りにくい袖を通してあげるのを手伝ったりしていました。
あたりまえだったことが、あたりまえにできないということ。
あたりまえにしてもらっていたことが、あたりまえにしてもらえるわけではないということ。
いつも通りであるということは、本当は奇跡的なことだし、みんなの努力によって成り立っているんだと言うこと。言葉にしなくても、子供たちは何となく感じ取ったみたいでした。
あたりまえは、簡単にくずれるということ。
その時に、「あたりまえであるということは有難い事」だと感謝して、みんなで補い合うということがどれだけ大切かということ。
それを学ばせてくれたんだな、って私は解釈しました。痛い思いをしたのはかわいそうな事でしたけどね。
でも、夫はそれをみんなに教えてくれて、そして自分自身でも感じ取ったことでしょう。
子供達だけではありません。私もそうです。妻として、夫が元気でいることを、あたりまえと思っていなかった、と言えば嘘になります。
してくれていることが、たくさんあって。「もっと気の利いたことしてくれてもいいのに!」って不満に思ったこともあったり。
手が不自由になり、動けなくなって初めて、「こんなことしてくれていたんだ!」って気づけたことも。
家の中の植物たちが、みるみる元気をなくしていきました。いつも水をやってお世話をしてくれていたのは夫でした。あたりまえだと思って、横目で見ていたけど、ちゃんと認識していなかった。
こうなる前に気がつけて、ありがたいと思えるに越したことありませんが・・・
私も、夫のありがたみがわかりました。そして、それと同時に、世の中のシングルマザーのお母さんたちの大変さも、少しばかり知ったように思います。
腕のレントゲンを見せてもらって先生から説明を受けることで、どれだけ人間の体が精密に作られているかを改めて実感しました。手首の可動域の広さ。いくらロボット技術が発展しても、自然な動きに見えない・・・というのは逆にそれだけ人間の体がしなやかに動く、精密機械であるということ。
「自分を大切にする」って、心のことに眼を向ける私たちカウンセラーではありますが、でもこの精密で、かつ律儀にしっかり私たちの脳の指令の通りに動いてくれる体をもっともっと労わって大切にしなきゃならないな、って思いました。
夫の骨折によって、本当に日々の生活ががらりとかわって大変にはなりましたが、ここからどう学んで、感謝していくかによって、その「起きた事」の捉え方を選択する。
ネガティブな出来事や、不測の事態って、どうしたって私たちの人間生活の中で起きてしまいます。でも、起きてしまうことは仕方のない事。
夫がいくら自分を責めたところで、私が「小雨が降ってるのに止めればよかった」と後悔したって、起きる出来事はいつだって不可逆的。元には戻りません。
だったら、そのことからどれだけ学びを得るか。転んでもタダでは起きないって言葉にも似ていて、その出来事をただのネガティブな事件として苦々しく思い出のアルバムに貼り付けるのではなくて・・・
あんなこともあったね!大変だったねー!でも、あんたたち、結構手伝ってくれたよね。パパに対して優しかったじゃん!
って振り返ってみんなで笑い合える、温かい思い出に変えていく事。
それって、簡単そうだけど、よいしょ!ってしないと、できないこと。
少しだけ、努力して、後から笑える思い出の1ページにすること。それは、やろうと思えば、できることなんだな、ってわかった気がしています。
子供達と全力で遊ぼうとして、骨折して手術をした夫の手首・・・私はそれを、父親としての勲章だと思う事にしました。
よくがんばった。

(↑実際の夫の手の画像ではありませんが、まさにこんなかんじー!)
みなさんも、急に真冬みたいに寒くなったのこで・・・お体ご自愛くださいね!!!
そして、いつも私たちを支えてくれている「骨」にも感謝してみてくださいねーーー!!
今月に入って色々なことが私の身の回りに起こり、極め付けには夫が右手(利き手)の手首を骨折して入院、手術!という事態が発生しました!!
カウンセリングの枠を大幅に減らしておりまして、みなさまにはご不便をおかけしました事、心よりお詫び申し上げます。
もうーーー、なんでこんなことが起こるんだよーーー!!!
って怒っていた一澤藍子ですが、夫の手術はお医者様、病院のスタッフさんたちのおかげ様で、滞りなく済みまして。やっとこさっとこ、日々が普段通りに戻りつつある状態でおります。
なぜこんなことに?!
夫は、なぜ骨折したのでしょうか?
結論から言うと、「たまたまです。」って思っています。
家族でお出かけした帰りにちょっと寄り道した広い芝生の公園にて。
小雨が降っていたのですが、家でゲームばっかりしている息子を動かしてやろうと思ったのでしょうね。サッカーしよう!と、夫が誘いました。
小雨の芝生、って滑るんですね。知らなかったんです。私はちょっと離れた木の下でシートを敷いてのんびりしていたのですが、夫が滑って転んで手をついたそうで、子供たちがわーわー言っているので気がつきました。
『折れたんちゃうー?』
冗談ぽく言っていましたが、腕は腫れていくいっぽう、夫はしびれてきたというので、慌てて救急でみてくれる病院を探しました。
帰り道にある大きな整形外科専門の病院で診てくれる事になったので、駆けつけてレントゲンを撮ってもらうと・・・
『あー、粉砕骨折です。まー、バキバキにいってますねー。手術が必要ですー。』
と、若くて髪の長い、ギターを弾いて今にも歌い出しそうなお医者様が笑顔でお伝えくださいました。
なんだってーーーーーー?!この忙しい時にーーーーー!?
起きた事に意味があるとしたら
なぜ骨折したのか、というと、経緯は上に書いた通りなのですね。
その後の夫ときたら、ずどおーーーーーーーん。ものすごい落ち込み様・・・
もう、あかん・・・若くない・・・、どんくさい・・・・。
人は自信を喪失すると肩も首も下がって下を向いてしまうんだな、っていうお手本のようでした。
『ごめん、迷惑かけて・・・』
ものすごい申し訳なさそうに言うので、私も怒る気も失せました。
後から息子がこっそり教えてくれたのですが、
『パパさんさ、ネイマールのまね!とか言って、ちょっとふざけて蹴って滑ってんで・・・』
って!!!はぁーーーー!?見てなかった私ですが、そんなことをしていたとは!!!どこのだれが、ネイマールだってぇーーー?!
『やっぱさ、ふざけたらあかんよなぁー。』
息子は苦笑いしながらそう言っていました。
おお!学びを得ている!息子が学びを得た!!
それから入院するまでの1週間、家にいましたが、まあ役に立ちませんーー。車も運転できないので、運転手は私100%になりました。いつも、やってくれていたお皿洗いもできません。私100%になりました。
そうすると、自然と手が足りません。いつも私ができていたこともできなくなっていきます。
となると、食べた後のお皿なんかを台所まで子供たちが持っていくようになりました。お皿洗いも、時間があったらしてくれました。(あちこち、泡だらけになるけど・・・)
朝起きなくて何度も夫に起こしてもらっていた息子は声掛け3回目くらいで起きるようになりました。(いつもは12回くらい!)
娘は夫の髪をドライヤーで乾かしてあげたり、服を着替える時、通りにくい袖を通してあげるのを手伝ったりしていました。
あたりまえだったことが、あたりまえにできないということ。
あたりまえにしてもらっていたことが、あたりまえにしてもらえるわけではないということ。
いつも通りであるということは、本当は奇跡的なことだし、みんなの努力によって成り立っているんだと言うこと。言葉にしなくても、子供たちは何となく感じ取ったみたいでした。
あたりまえは、簡単にくずれるということ。
その時に、「あたりまえであるということは有難い事」だと感謝して、みんなで補い合うということがどれだけ大切かということ。
それを学ばせてくれたんだな、って私は解釈しました。痛い思いをしたのはかわいそうな事でしたけどね。
でも、夫はそれをみんなに教えてくれて、そして自分自身でも感じ取ったことでしょう。
私の学び
子供達だけではありません。私もそうです。妻として、夫が元気でいることを、あたりまえと思っていなかった、と言えば嘘になります。
してくれていることが、たくさんあって。「もっと気の利いたことしてくれてもいいのに!」って不満に思ったこともあったり。
手が不自由になり、動けなくなって初めて、「こんなことしてくれていたんだ!」って気づけたことも。
家の中の植物たちが、みるみる元気をなくしていきました。いつも水をやってお世話をしてくれていたのは夫でした。あたりまえだと思って、横目で見ていたけど、ちゃんと認識していなかった。
こうなる前に気がつけて、ありがたいと思えるに越したことありませんが・・・
私も、夫のありがたみがわかりました。そして、それと同時に、世の中のシングルマザーのお母さんたちの大変さも、少しばかり知ったように思います。
腕のレントゲンを見せてもらって先生から説明を受けることで、どれだけ人間の体が精密に作られているかを改めて実感しました。手首の可動域の広さ。いくらロボット技術が発展しても、自然な動きに見えない・・・というのは逆にそれだけ人間の体がしなやかに動く、精密機械であるということ。
「自分を大切にする」って、心のことに眼を向ける私たちカウンセラーではありますが、でもこの精密で、かつ律儀にしっかり私たちの脳の指令の通りに動いてくれる体をもっともっと労わって大切にしなきゃならないな、って思いました。
夫の骨折によって、本当に日々の生活ががらりとかわって大変にはなりましたが、ここからどう学んで、感謝していくかによって、その「起きた事」の捉え方を選択する。
ネガティブな出来事や、不測の事態って、どうしたって私たちの人間生活の中で起きてしまいます。でも、起きてしまうことは仕方のない事。
夫がいくら自分を責めたところで、私が「小雨が降ってるのに止めればよかった」と後悔したって、起きる出来事はいつだって不可逆的。元には戻りません。
だったら、そのことからどれだけ学びを得るか。転んでもタダでは起きないって言葉にも似ていて、その出来事をただのネガティブな事件として苦々しく思い出のアルバムに貼り付けるのではなくて・・・
あんなこともあったね!大変だったねー!でも、あんたたち、結構手伝ってくれたよね。パパに対して優しかったじゃん!
って振り返ってみんなで笑い合える、温かい思い出に変えていく事。
それって、簡単そうだけど、よいしょ!ってしないと、できないこと。
少しだけ、努力して、後から笑える思い出の1ページにすること。それは、やろうと思えば、できることなんだな、ってわかった気がしています。
子供達と全力で遊ぼうとして、骨折して手術をした夫の手首・・・私はそれを、父親としての勲章だと思う事にしました。
よくがんばった。

(↑実際の夫の手の画像ではありませんが、まさにこんなかんじー!)
みなさんも、急に真冬みたいに寒くなったのこで・・・お体ご自愛くださいね!!!
そして、いつも私たちを支えてくれている「骨」にも感謝してみてくださいねーーー!!