みなさま、こんにちは!一澤藍子です。

突然ですが、細々とInstagramをしているのですが、みなさま見て頂いておりますでしょうか?

特段、心理学の知識などを書いているわけでもないのです。

そこには私の好きなものや、わくわくするものが詰め込まれているだけなのです。同じように、「あ、これ好き!」って思う方がいたらいいなぁ、なんて思いながら、細々と開店しています。

一澤藍子のInstagramはこちらから。

もしInstagramをされているなら、ぜひ遊びに来てやってくださいね!!!


わくわくするもの・好きなもの



今日はそのInstagramにいつものように、投稿した後に少し思うことがあったので、ブログでもシェアしてみたいなと思って、リンクさせてみました。

わくわくするもの、好きなものを改めて集めてみよう!そう思ったのは私が尊敬する大先輩のカウンセラーさんが、『藍ちゃんのすきなものを、ただ宝箱に詰めていくように、集めてみて。』そうアドバイスをくださったことが心に残っていたからでした。

みなさまは、改めて、自分の好きなものや、わくわくするものって何かな?向き合ってみたことがありますか?

ぼんやりは思っていても、文字にしたり写真にして集めてみるとクリアになるし、後から見返した時にすぐに思い出せるので、これは本当におすすめです。そうそう、文字でも全然いいのです。手帳の後ろの方のフリーのスペースに、思い出したら書き留める、なんかでもいいですよね。

私も、あちこちに点在する自分の「わくわくするもの」「好きなもの」を回収作業中です。

そのね「わくわくするもの」「好きなもの」って、実は幼少期〜昔の思い出に紐づいているってことが、結構あるって思うんですね。

あの頃、大切にしていた、とか。子供の頃、好きだった、とか、欲しかったのに買ってもらえなかった、とか。形のない趣味ならば、子供の頃にちょっとお稽古ごとでやっていた、または習いたかったけど、習わせてもらえなかった、とかもありますよね。

大人になった自分が、その昔の思い出を思い出したときに、改めて今の自分が「わくわくするもの」「好きなもの」になったりすることも多々あるんじゃないかな、って思うのですね。

「わくわくするもの」「好きなもの」を集めること、そしてそのルーツを探ることもステキなことだと思うんです。



大切な思い出



この日に私がInstagramにUPした「好きなもの」は、テンガロンハット!!!

そう、あのカウボーイがかぶっている帽子です。

単に形が好きなだけではなくて、この帽子に大切な思い出が紐づいていることを発見しました。

幼少期、私の家のリビングの壁にはずっと革のテンガロンハットが飾られていました。それは父が20代後半の頃に初めての海外旅行で訪れたメキシコで買ってきたものだったらしいのです。

テンガロンハットの由来は、10ガロン。この帽子をひっくり返して逆さまに持ってね、水を入れたら10ガロン(約4.5リットル)入る。そうやって、水を入れてカウボーイがお馬さんに水を飲ませてあげるんだよ。

父はそう教えてくれました。へえーー!このカタチには、実はそんな役割があったんだ!!かっこいいだけじゃなくって、実際にはそんな機能も兼ね備えてるなんて、すごい!!!って、驚いた記憶があります。

「じゃあ、おうまさんのコップだね!!!」

そういうと、父は笑って、そうだよ。って言ってくれました。

ずっと家に飾られていた帽子は、母から、かぶってはいけないと言われていました。なぜなら、ホコリだらけだったから。

時を経ても、私はテンガロンハットがずっと大好きで、それに似た帽子をよく買うようになりました。

お馬さんの、コップなんだね。

この形の帽子を頭に乗せる瞬間に、声には出さないけれど、私はいつもその父との会話を思い出します。なんだか、すごく心が温かくなる感覚がするからです。

そして、今もちょっと思います。お馬さんが水を飲んだ後のびしょびしょの帽子・・・かぶるのかぁ。って・・・。(暑い国だからすぐに乾くのかな!!?)

hat




天国にいる人とつながるということ



神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コースに入って、心理学を学び始めた当初の私は、誰かから『お父さんが天国で見守っているよ』とか『お父さんはいつもそばにいてくれるよ』と言っていただくことがあるたびに、全然受け止められなかったんです。

そうは言うけど・・・お父さん、死にましたけど。

お葬式も、私、しましたし。火葬場で実際に骨だけになっているところも見ました。そして、お墓にも納めましたので・・・。

実際にはそうです、その通りなのです。

実際には、もうこの世にいないんです。

でも、最近になってようやく・・・ですけど、実はあちらこちらに「父のカケラ」があるなぁ、って気づけるようになってきて。

例えば、この思い出のテンガロンハットも、そう。

それから、あの上司のふとした時の仕草だったり、あの先生の笑うタイミングだったり。

スーパーから流れてくる陽気なジャズの音色はお父さんの車でいつもかかっていたグレン・ミラー。

ふと、思い出す瞬間があって。それは、点のように、亡くなった父と繋がる瞬間なのかな、って。

その、「点」がいくつも集まってくると、それをつなげて「線」にできます。「線」になってきたときにね、なんとなく、『ああ、お父さん。そこにいるのね。』って思えるようになってきました。

実際にそばにいるわけではないし、会えていた時のように触れられるわけでもないし、3Dで見ることができるわけでも、声が聞けるわけでもありません。

でも、ああ、なんとなく繋がれているなぁ、って思えた時、それはすなわち、この世のこととは別次元で『いつも見守ってくれている』『そばにいてくれている』。同義語なのかなと、思えてきました。

天国の人と、つながる。

私にはスピリチュアル色は全然ないのですが・・・それでも、それって心の持ち様次第で、自分がそう思えるのなら、ここにいなくても、そうなんだろうな、って思えるところまでは大人になった気がします。

なんで死んじゃったのよ・・・って、娘の立ち位置から怒っている私ではなく。

もし、そのあちらこちらにちりばめられた、天国の人のヒント。例えば私の父なら、思い出のカウボーイハットやジャズのメロディー。もし、それが、天国のその人自身からのメッセージだったとしたら。

パズルのピース、見つけてみてね!そのカケラたちを集めてね。そしたらつながってくるよ、輪郭が見えてくるよ。そして、絵が見えてくるよ。って。

もし、そんなメッセージなのだとしたら・・・ぜひ、その方からのメッセージを受けとってみてください。点在する、パズルのピースを集めるようにして。


「わくわくするもの」「好きなもの」の中にそんなメッセージのカケラが組み込まれていないかに、思いを馳せてみるのもちょっと興味深いかもしれませんね。

もちろん、今も元気にこの世に生きている人の思い出も。それは、とても尊いことで、ぜひその方とその思い出を語ったりしてみてほしいな、って思います。

あの時こうだったね、今も好きなんだよね。って。

そんな話をしている時の私たちって、ネガティブの対極の場所にいられると思うから。






・・・いつかきっと、本場の革のテンガロンハットを買いに行きますね!メキシコまで!!!

それも私の夢のひとつ、かな!!!