『べつになにもしなくていいよ。』
私はこの言葉に、実に困惑する系の人でした。今も、正直どっちかっていうと、困惑します。
なにもしなくていい、って言われたって、どうすればいいかわからない・・・。
思考がどうしても優先してしまう人って、ついこんなふうに思ってしまうことってあるのではないでしょうか。
私は、とても「考えて」しまうタイプです。色々なことの、そのメカニズムを知りたくなるし、そもそもこれは何になるんだろう?何の役に立つんだろう?と、「意味」を考える癖があります。
合理的と言えば、合理的なのかも知れません。でも、常に思考を働かせて、理屈を考えていると、頭では「よし!わかった!こうすれば、あれの役に立つんだ!」と、思ったところで、その通りに実際に行動できることって・・・どのくらいの割合でしょうか。半分くらいなのかも知れません。
では、なぜその半分は行動できないでいるのか。頭ではわかっているのに。
それは、自分の「感情」がついてきていなからなのではないかと思うのです。感情を置き去りにしているから、前に進みにくいこと。
簡単な例をあげるならば、「勉強」。テストが近づいてくる。定期テスト2週間前から予定を立てて計画的に勉強をしていけばいい。頭では理解できています。
でも、実際はその通りにできるかというと、これがとても難しい。
そこには色々な気持ち、「感情」があるからだと思うのですね。
でもなー、友達と遊びたい。でもなー、勉強したところで、そこがテストに出るかどうかわからないし。でもなー。勉強しても結果に出ないことも多いし、やっても意味ないなー。そもそも授業ちゃんと聞いてなかったから、今更わからないこと多すぎるしなー。・・・はぁ。
やりたくない理由は色々と出てきます。それでも、思考で「勉強したほうがいい!がんばるしかない!」と、自分に厳しくしたところで、なかなか重い腰が上がらなかったりもします。
やりたくない気持ちを無視しようとするからなのではないかなと思うのです。やりたくない気持ち・・・それは、単に怠けたいとか、がんばりたくない、とか、根性がないとか、そんな簡単なものではないのかもしれません。
他に気になることがあったり、安心感がなかったり。自分に自信がなかったり、うまくやりたいなって思う気持ちだけが強くなって、勝手に自分自身にプレッシャーを重くのし掛からせていたり。
とりあえず、それが良いとか悪いとかではなくて。ああ、私の中にやりたくない気持ちがあるなぁ。それはなぜなのかな。なんでなの?私、どうしたの?
自分の感情をちゃんと見てあげる。感情とつながることができたなら、次に行けること、って実はたくさんあるんじゃないか、って思います。『まあ、やれるだけやってみるか!』って。
初め、私はジョイニングって「何?」「どうやればいいの?」方法や理屈を一生懸命考えていました。むしろ「てか、これ何の役に立つの?」そんな、直接的な意義みたいなものを考えていまっていました。
そんな時に、池尾トレーナーに言われたことがあります。
「なにもしなくていいよ。」
え?何もしない?なんだそれ・・・何もしないってなに?!
「ただ、相手の目を見ていればいいよ。」
えーーー?!それで何になるの?!
わからないし、ためらう気持ちでいっぱいでした。
そんな私も池尾家の癒しの1Dayワークショップで何度もジョイニングの経験を重ねてきて、わかったこと。それは、
本当になにもしなくていいんだ。
こんなに、「なにもしなくてOK!」なことって、あるでしょうか?
日々の中では、まずないですよね。洗濯物は畳まないと山となって溜まる一方だし、ご飯は料理するか買ってくるか食べに行かないと、ありつけないし。使った食器は洗わないと、台所のシンクから溢れ出してしまうし。
仕事は自分の任された部分を決められた時までにこなさなければ、周りに迷惑をかけてしまう。
提出物は提出期限までに出さないといけない。
印鑑を押さなければならないところに、印鑑を押していないと役所で受け取ってもらえない。
やらなければいけないことに囲まれている私たちの暮らしの中で、何もしない、って寝ている時くらいなものでしょうか・・・。
そう、だから私はヒマさえあれば、お昼寝をする人でした。何もしなくて済むので。何もしないでいるには、寝るしかなかった。
何も考えないでいるには、なにもしないでいるには、寝るしかなかったんです。
そんな私がジョイニングという心理学的手法に出会って、起きていながらにして「何もしない」ことを学びました。でもね、一人じゃないんです。相手の人が、いてくれる。そうすると、何が起きるかというと「感情」が出てきやすくなるのだと思うのです。
あれこれ思ったって仕方ない!いやだ、いやだって言ったってキリがない!そうやって、がんばってきた人にとって、感情を感じるということは、時に「めんどくさい」ことになりやすい気がするんですね。
だけど、その感情を一旦ちょっと、ちゃんと出してみる、受け止めてみると、「ああ、そうか。そんなふうに思っていたんだね」そう認めてあげるだけで、「あ、じゃあ。これやりましょ。あれは、やめておきましょう。」って、そのほうが後々、合理的になれるんだってことを知りました。
閉じ込めた感情は、ちゃんと私たちが認識するまで、「ねえ、ねえ。でもね、ねえねえ、こっち向いて!」って、私たちの袖を引っ張り続ける気がするんです。だから、進みにくくなってしまう。
考えたり、なにかしなくちゃ!って思うことは、決して悪いことではありません。むしろ、それがあったから、今日ここまで進んで来れたんだという人はたくさんいます。
だけど、それ「だけ」になっちゃうと、あるところで燃え尽きにも似た、無気力感に襲われてしまうことがあるんだと思うのです。「やる気が出ない」も、似た状況。
それはきっと、私たちの中の置き去りにしてきた「感情」が大きくなりすぎて、袖をひっぱるどころか、私たちの目の前で大きく手を広げて、「とおせんぼ」するからなのではないかと思ったのです。
何もしない時間は、本当に難しいと私は思うタイプです。もちろん、ソファでゴロゴロして何もせずただスマホの画面をみていることだってあります。
その時、って誰から見ても「何もしてないじゃん」ってなったとしても、思考はずっと動いている状態です。
だから、一人で「なにもしない」でいるためには、寝る!しかなかった私が、寝ないでも、起きていても、意識がありながらも、何もしないで感情を感じられることに出会った気がしています。
ジョイニング、相手の目をただみるだけ。相手の目をまっすぐに見て、その目の中にある相手の感情を見ることによって、自分を見る。相手の目を鏡だと思って見てみると、自分の感情が湧き上がってきやすくなるので、それをキャッチしてあげる、ってことなのかもしれません。
一生懸命がんばって、考えて、自分にムチを打ちながらやってきた人にこそ、このジョイニングはとても効果的なのだと思っています。
何の役に立つかわからないと思いながら、取り組んできた私が、ちょっと感じたことがあるのです。それは、ジョイニングが終わったら、まるで掃除した後のように、晴れやかな気持ちになるんです。
理屈では説明できない意義があると感じています。
何もしないからこそ、逆に「何かした」では得られないものが、その先に何かがある、って。私は肌で感じています。
こうやって書きながらも「うまく言葉にできないな」という感覚があります。でも、そういうものなんだろうなと思います。
あたたかさや、安心感に触れて、そこからどうなっていくのか。それは人それぞれなのだからだと思います。自分の中の誰かを思う気持ちに気づく人、自分ってこんなところがあったんだ、弱さや強さを見出す人。
こんなことして何になるの?赤のチューリップの球根を植えたから、赤のチューリップの花が咲きました、みたいなことにはならない。
何の種を植えたかは、わからない。でも確かに心の中に種を蒔いた気がしてる。
その種が、どんな芽を出して、どんな花を咲かせるのか。それはどんな色なのか。今はわからないけど、でも必ずいつか、花が咲く。
それは後々、それぞれに、何だったのか、わかることなんだな。って。
そんな感じです。一澤藍子が思うジョイニング、って。

・・・どんな色の、何の花が咲くかなー。みんなそれぞれ、どんなかなー。
私はまだまだ未熟で、こんなふうにしか表現ができません。
でも、このつたない私の文章を読んでくださって、もしあなたも何か思うことがあるならば、是非私たちと一緒に、取り組んでみてください。是非、同じ時を一緒に過ごしましょう、「なにもしなくていいよ。ただ相手の目を見てるだけでいいよ。」って言ってもらえる時間を。
さあ、みんなで、堂々と!何もしないで、ジョイニングだけをする時間を過ごしましょう。

私はこの言葉に、実に困惑する系の人でした。今も、正直どっちかっていうと、困惑します。
なにもしなくていい、って言われたって、どうすればいいかわからない・・・。
思考がどうしても優先してしまう人って、ついこんなふうに思ってしまうことってあるのではないでしょうか。
私は、とても「考えて」しまうタイプです。色々なことの、そのメカニズムを知りたくなるし、そもそもこれは何になるんだろう?何の役に立つんだろう?と、「意味」を考える癖があります。
合理的と言えば、合理的なのかも知れません。でも、常に思考を働かせて、理屈を考えていると、頭では「よし!わかった!こうすれば、あれの役に立つんだ!」と、思ったところで、その通りに実際に行動できることって・・・どのくらいの割合でしょうか。半分くらいなのかも知れません。
では、なぜその半分は行動できないでいるのか。頭ではわかっているのに。
それは、自分の「感情」がついてきていなからなのではないかと思うのです。感情を置き去りにしているから、前に進みにくいこと。
簡単な例をあげるならば、「勉強」。テストが近づいてくる。定期テスト2週間前から予定を立てて計画的に勉強をしていけばいい。頭では理解できています。
でも、実際はその通りにできるかというと、これがとても難しい。
そこには色々な気持ち、「感情」があるからだと思うのですね。
でもなー、友達と遊びたい。でもなー、勉強したところで、そこがテストに出るかどうかわからないし。でもなー。勉強しても結果に出ないことも多いし、やっても意味ないなー。そもそも授業ちゃんと聞いてなかったから、今更わからないこと多すぎるしなー。・・・はぁ。
やりたくない理由は色々と出てきます。それでも、思考で「勉強したほうがいい!がんばるしかない!」と、自分に厳しくしたところで、なかなか重い腰が上がらなかったりもします。
やりたくない気持ちを無視しようとするからなのではないかなと思うのです。やりたくない気持ち・・・それは、単に怠けたいとか、がんばりたくない、とか、根性がないとか、そんな簡単なものではないのかもしれません。
他に気になることがあったり、安心感がなかったり。自分に自信がなかったり、うまくやりたいなって思う気持ちだけが強くなって、勝手に自分自身にプレッシャーを重くのし掛からせていたり。
とりあえず、それが良いとか悪いとかではなくて。ああ、私の中にやりたくない気持ちがあるなぁ。それはなぜなのかな。なんでなの?私、どうしたの?
自分の感情をちゃんと見てあげる。感情とつながることができたなら、次に行けること、って実はたくさんあるんじゃないか、って思います。『まあ、やれるだけやってみるか!』って。
初め、私はジョイニングって「何?」「どうやればいいの?」方法や理屈を一生懸命考えていました。むしろ「てか、これ何の役に立つの?」そんな、直接的な意義みたいなものを考えていまっていました。
そんな時に、池尾トレーナーに言われたことがあります。
「なにもしなくていいよ。」
え?何もしない?なんだそれ・・・何もしないってなに?!
「ただ、相手の目を見ていればいいよ。」
えーーー?!それで何になるの?!
わからないし、ためらう気持ちでいっぱいでした。
そんな私も池尾家の癒しの1Dayワークショップで何度もジョイニングの経験を重ねてきて、わかったこと。それは、
本当になにもしなくていいんだ。
こんなに、「なにもしなくてOK!」なことって、あるでしょうか?
日々の中では、まずないですよね。洗濯物は畳まないと山となって溜まる一方だし、ご飯は料理するか買ってくるか食べに行かないと、ありつけないし。使った食器は洗わないと、台所のシンクから溢れ出してしまうし。
仕事は自分の任された部分を決められた時までにこなさなければ、周りに迷惑をかけてしまう。
提出物は提出期限までに出さないといけない。
印鑑を押さなければならないところに、印鑑を押していないと役所で受け取ってもらえない。
やらなければいけないことに囲まれている私たちの暮らしの中で、何もしない、って寝ている時くらいなものでしょうか・・・。
そう、だから私はヒマさえあれば、お昼寝をする人でした。何もしなくて済むので。何もしないでいるには、寝るしかなかった。
何も考えないでいるには、なにもしないでいるには、寝るしかなかったんです。
そんな私がジョイニングという心理学的手法に出会って、起きていながらにして「何もしない」ことを学びました。でもね、一人じゃないんです。相手の人が、いてくれる。そうすると、何が起きるかというと「感情」が出てきやすくなるのだと思うのです。
あれこれ思ったって仕方ない!いやだ、いやだって言ったってキリがない!そうやって、がんばってきた人にとって、感情を感じるということは、時に「めんどくさい」ことになりやすい気がするんですね。
だけど、その感情を一旦ちょっと、ちゃんと出してみる、受け止めてみると、「ああ、そうか。そんなふうに思っていたんだね」そう認めてあげるだけで、「あ、じゃあ。これやりましょ。あれは、やめておきましょう。」って、そのほうが後々、合理的になれるんだってことを知りました。
閉じ込めた感情は、ちゃんと私たちが認識するまで、「ねえ、ねえ。でもね、ねえねえ、こっち向いて!」って、私たちの袖を引っ張り続ける気がするんです。だから、進みにくくなってしまう。
考えたり、なにかしなくちゃ!って思うことは、決して悪いことではありません。むしろ、それがあったから、今日ここまで進んで来れたんだという人はたくさんいます。
だけど、それ「だけ」になっちゃうと、あるところで燃え尽きにも似た、無気力感に襲われてしまうことがあるんだと思うのです。「やる気が出ない」も、似た状況。
それはきっと、私たちの中の置き去りにしてきた「感情」が大きくなりすぎて、袖をひっぱるどころか、私たちの目の前で大きく手を広げて、「とおせんぼ」するからなのではないかと思ったのです。
何もしない時間は、本当に難しいと私は思うタイプです。もちろん、ソファでゴロゴロして何もせずただスマホの画面をみていることだってあります。
その時、って誰から見ても「何もしてないじゃん」ってなったとしても、思考はずっと動いている状態です。
だから、一人で「なにもしない」でいるためには、寝る!しかなかった私が、寝ないでも、起きていても、意識がありながらも、何もしないで感情を感じられることに出会った気がしています。
ジョイニング、相手の目をただみるだけ。相手の目をまっすぐに見て、その目の中にある相手の感情を見ることによって、自分を見る。相手の目を鏡だと思って見てみると、自分の感情が湧き上がってきやすくなるので、それをキャッチしてあげる、ってことなのかもしれません。
一生懸命がんばって、考えて、自分にムチを打ちながらやってきた人にこそ、このジョイニングはとても効果的なのだと思っています。
何の役に立つかわからないと思いながら、取り組んできた私が、ちょっと感じたことがあるのです。それは、ジョイニングが終わったら、まるで掃除した後のように、晴れやかな気持ちになるんです。
理屈では説明できない意義があると感じています。
何もしないからこそ、逆に「何かした」では得られないものが、その先に何かがある、って。私は肌で感じています。
こうやって書きながらも「うまく言葉にできないな」という感覚があります。でも、そういうものなんだろうなと思います。
あたたかさや、安心感に触れて、そこからどうなっていくのか。それは人それぞれなのだからだと思います。自分の中の誰かを思う気持ちに気づく人、自分ってこんなところがあったんだ、弱さや強さを見出す人。
こんなことして何になるの?赤のチューリップの球根を植えたから、赤のチューリップの花が咲きました、みたいなことにはならない。
何の種を植えたかは、わからない。でも確かに心の中に種を蒔いた気がしてる。
その種が、どんな芽を出して、どんな花を咲かせるのか。それはどんな色なのか。今はわからないけど、でも必ずいつか、花が咲く。
それは後々、それぞれに、何だったのか、わかることなんだな。って。
そんな感じです。一澤藍子が思うジョイニング、って。

・・・どんな色の、何の花が咲くかなー。みんなそれぞれ、どんなかなー。
私はまだまだ未熟で、こんなふうにしか表現ができません。
でも、このつたない私の文章を読んでくださって、もしあなたも何か思うことがあるならば、是非私たちと一緒に、取り組んでみてください。是非、同じ時を一緒に過ごしましょう、「なにもしなくていいよ。ただ相手の目を見てるだけでいいよ。」って言ってもらえる時間を。
さあ、みんなで、堂々と!何もしないで、ジョイニングだけをする時間を過ごしましょう。

池尾昌紀・千里のオンライン心理学セミナー】癒やしの1DAYワークショップ
「ジョイニング(つながり)1DAYレッスン〜自分とつながる、そして、大切な誰かとつながる〜」
開催日:2024年10月20日(日)10:00-18:00
料金:18,700円(税込)
お申し込みはこちら
目でつながることによって、相手を知り、自分を知り、わからないことがあっても、わかったことがあっても、それが後々、何かの芽になり、花が咲く。
不思議で、温かくて、ここにしかない癒しの時間が池尾家1Dayにはあります。
みなさまの美しい目と画面越しでお会いできますことを、心から楽しみにお待ちしています。
目でつながることによって、相手を知り、自分を知り、わからないことがあっても、わかったことがあっても、それが後々、何かの芽になり、花が咲く。
不思議で、温かくて、ここにしかない癒しの時間が池尾家1Dayにはあります。
みなさまの美しい目と画面越しでお会いできますことを、心から楽しみにお待ちしています。