みなさま、こんにちは!一澤藍子です。
突然ですが、実は先日・・・車で自損事故を起こしてしまったのです。不幸中の幸いで、ケガ人は1人もいませんでした。私を含め、です。私も、ケガはありませんでした。
でも、車は損傷してしまいました。
事故の経緯は簡単にお話しすると、我が家が借りていた家の近くのパーキングの、出入りするところにある太くて大きな鎖・・・ゲートのチェーンですね。そのチェーンが下がり切っていないのに、私・・・向かっていってしまったんです。そのチェーンと、思いっきり正面からぶつかってしまいました。
周りに人がいなくて、本当に良かったです。そして、私もケガすることなく、わりと丈夫な車に乗っていたので、車が私を守ってくれたと思っています。
車には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そんなことがあって、実はものすごく落ち込んでいた私ですが、ここから大きな気づきがあったので、みなさまにシェアしたいと思い、ブログにつづることにしました。
よろしければ、最後までお読み頂けたらうれしいです。
ぶつかった鎖が古いもので、結構太くて重い、ガッシリした物だったために、わりと大ごとになってしまったのですね。警察がきて、消防もきました。液体が漏れていたので安全を確認するためでしたが、幸いラジエーターの冷却水だったので、消防隊の方は安全を確認してすぐに引き上げられました。
こんな大ごとになるなんて・・・一瞬の出来事だったので、私は本当にビックリしましたし、ちょっとパニックだったんです。
でも、実はそこには考えられる原因があって。その前の週がとてもハードな週で、随分とクタクタだったこと。そして、その日は朝に二度寝をしてしまったことによって、目が覚めて30分で家を飛び出し、仕事に遅刻しないようにと焦ってしまっていたこと・・・。
私の不注意です。自分で気をつけていたら防げたことだ、って心から思い、そして、ひたすら反省しました。
家族は誰も私を責めませんでした。なのに、自分で自分をめちゃくちゃ責めました。ありえない、もしも誰か通行人に当たってしまったりしていたらどうするの・・・って。もっと最悪の事態になることを想像しては、恐ろしくなって、自分のしたことを膨らませては、自分を攻撃してしまっていました。
もう、こんなことをする私は免許を返納するべきだ、くらい思いましたし、車なんて乗らない方がいい、って思いました。
誰も傷つけることはなかったのですが、大好きな車で大切に思っていたので傷つけてしまってショックでしたし、本当に申し訳ないことをしたと言う気持ちでいっぱいで・・・特に、その当日は罪悪感に押しつぶされそうになってしまいました。
しばらくして、ふと思い出したことがありました。私が10歳くらいだった頃、私の母が、事故を起こしたことがありました。
母の事故は相手のあったことで、道路を走行中に大きなトラックに、ぶつかりにいってしまったみたいだったのです。幸い、双方に怪我はなく、相手の方も良い方で、きちんと話し合いをして保険で全て直すという方向になったのでした。
帰宅してから、母はずっと目が点だった記憶があります。本人もびっくりしたし、怖かったんだと思います。私もその気持ち、とってもよくわかりました。あの時の母、自分の不注意と一瞬の出来事に、激しく自分を責めただろうな、と。
問題は、その後です。罪悪感に耐えきれなくなった母は、2度と運転をしないと誓いました。もう、運転したくもない!と、言いました。
その母に対して、父も言いました。『その方がいい。もう運転するな。向いていない。』と。
母はそれ以降、2度と運転席に座ることはありませんでした。その代わり、ものすごい「失敗感」を抱えたままになってしまったのです。
自分は大失敗をした、もう運転する資格はない、と。
もちろん、ぶつかってしまったことは相手の方に多大なご迷惑と、精神的にもストレスを与えてしまったこと、それは本当に申し訳ないことだと思います。だけど、誰も怪我をしませんでしたし、法律で罰せられるようなことにもなりませんでした。保険で相手の方の損害にも、きちんと補償をさせていただくことができました。
なのに、母はその後も自分を罰し続けたのです。「今後は一切の運転を禁ずる」、と。
昔から、心配性で不安神経症だった母は、その後はますます誰かが運転することを過剰に心配したり、事故が起きるのではないかと言う不安で、常に怖れてしまうようになりました。
2度と運転はしなかったわけですから、母が2度と交通事故や車での事故を起こすことはありませんでした。
だけど、母の失敗感と不安感は結果的に、大きくなったまま、消えることなく残ってしまったように思います。自信のなさを、他の面においても深く刻んでしまった出来事になったのではないかと思うのです。
母にそんなことがあったから、多分、私も咄嗟に、自損事故ではあったものの、直後には、『ああ、もうこんな私は免許を返納した方がいいのかもしれない・・・』と、思いました。
そして、おそるおそるでしたけど、夫に言いました。『ごめんね。もう私、運転しない方がいいよね・・・』
って。
すると、夫は言いました。
『事故や失敗は誰にだってある。この失敗をどう活かすかが大切で、ちゃんと気をつけながら、これからも車に乗ったらいい。』
私は、ちょっと泣きました。
信じてくれることが、ありがたい、って思いました。これからはきっと、もっと気をつけて運転するだろう、って、ちゃんと私を信じてくれたんだな、って思えました。
自信を失っていた私です。でも、そうやって信じてくれる人がいるなら、もう一度、自分で自分を信じてみよう、って思いました。
今、代車を貸してもらっています。その代車が来た時に、夫が『乗ってみたらいいよ、練習しよう。』と言って、横に乗ってくれました。
事故をしてから約1週間ぶりに、運転席に座りました。全く同じ車種を用意してくださったので、色は違えど、車内は全く同じ。ちょっと怖くなりました。
だけど、『ゆっくり行けば大丈夫。』と夫が言ってくれたので、その言葉を信じて、深呼吸して発進させると、すぐに感覚が戻りました。
近くのスーパーまで、私が運転していきました。よく行くスーパーです。駐車も問題なくできましたし、何一つ、事故の前と変わらずに運転できました。
大丈夫、って思えました。「2度と乗らない」とまでは思わなくていいかもしれないと思いました。私の生活、仕事に行くには車の方が断然便利ですし、子供達の送迎にもよく使います。なくてはならないもので、こうしてまた車に乗れることは本当にありがたいって実感したんです。
そして、何よりも、もう一度、自分を信じてみようと思えました。大丈夫、きっと大丈夫。あんなふうに焦ったりしなければ、大丈夫。もっともっと、気をつけよう。そうしたら、大丈夫。
もし、私の父が、母に対して『大丈夫だよ』って言っていたら、どうなったかな・・・それでも、罪悪感の強い母は、2度と乗らなかった気もします。でも、失敗したままで終わらせてしまわなくても良かったかもしれない、って思いました。
やっぱり、自分で自分を信じられない時に、何があっても自分を信じてくれる人の存在ってとても大きいと感じました。
ここで私も運転免許を返納していたら、2度と事故を起こすことはありません。100%ありません。
でも、確実に自分のことを制限して、窮屈さを感じたまま、自分を責め続けることになったんだろうな、って想像できます。『あの時に事故さえしなければ・・・』って。
そして、車による事故を起こすことはなくても、他で不具合を起こしてしまったかもしれない、って思うんです。私の母がまさにそうです。その後、少しずつ、いろいろな面で自信をなくし、いろいろな面で自分を制限していったように思います。
事故の種類や大きさにもよりますし、時と場合にもよります。私の場合は本当に誰も巻き込むことがなくて、良かったと思っています。
どんな事故でも、起こさないに越したことはない。
とはいえ、事故が起きてしまうことは誰にだって可能性があること。
大いに反省をしたら、その失敗を次にいかして、また前を向いて生きていく。この経験を無駄にしないように心にちゃんと受け止めて。
そんなふうに思えるようになったのは、自分を信じてくれた夫のおかげでした。
そんな夫を、もう驚かせたり悲しませたりしたくないから、これからもきちんと気を引き締めようと思っています。くたびれすぎるまで疲れを溜めないこと。そして、朝はちゃんと余裕を持って、家を出ることも、含めて。

私たちには、自分を信じてくれる人、自分を肯定してくれる人が必要で、自分が弱っていたり、迷いの森に迷い込んだような時にも、「自分を信じてくれる人」こそが、また明るいところへ出られるように導いてくれる「光」になるのだと、心から思った出来事でした。
・・・それから。この出来事が辛くて大先輩のカウンセラーさんに泣きつきました。すると、こう言ってくださったんです。
『私やったら、確実に、厄を落とした!!って思うよ!!だから大丈夫!!』
って。
この言葉にも、とても救われました。
私がダメなんじゃなくて、厄を落としたのだ、と。
だからもう大丈夫。って。
先輩カウンセラーさんも、そう、きっと私を信じてくださったのだと・・・心から感謝しています。
突然ですが、実は先日・・・車で自損事故を起こしてしまったのです。不幸中の幸いで、ケガ人は1人もいませんでした。私を含め、です。私も、ケガはありませんでした。
でも、車は損傷してしまいました。
事故の経緯は簡単にお話しすると、我が家が借りていた家の近くのパーキングの、出入りするところにある太くて大きな鎖・・・ゲートのチェーンですね。そのチェーンが下がり切っていないのに、私・・・向かっていってしまったんです。そのチェーンと、思いっきり正面からぶつかってしまいました。
周りに人がいなくて、本当に良かったです。そして、私もケガすることなく、わりと丈夫な車に乗っていたので、車が私を守ってくれたと思っています。
車には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そんなことがあって、実はものすごく落ち込んでいた私ですが、ここから大きな気づきがあったので、みなさまにシェアしたいと思い、ブログにつづることにしました。
よろしければ、最後までお読み頂けたらうれしいです。
失敗したことによる罪悪感
ぶつかった鎖が古いもので、結構太くて重い、ガッシリした物だったために、わりと大ごとになってしまったのですね。警察がきて、消防もきました。液体が漏れていたので安全を確認するためでしたが、幸いラジエーターの冷却水だったので、消防隊の方は安全を確認してすぐに引き上げられました。
こんな大ごとになるなんて・・・一瞬の出来事だったので、私は本当にビックリしましたし、ちょっとパニックだったんです。
でも、実はそこには考えられる原因があって。その前の週がとてもハードな週で、随分とクタクタだったこと。そして、その日は朝に二度寝をしてしまったことによって、目が覚めて30分で家を飛び出し、仕事に遅刻しないようにと焦ってしまっていたこと・・・。
私の不注意です。自分で気をつけていたら防げたことだ、って心から思い、そして、ひたすら反省しました。
家族は誰も私を責めませんでした。なのに、自分で自分をめちゃくちゃ責めました。ありえない、もしも誰か通行人に当たってしまったりしていたらどうするの・・・って。もっと最悪の事態になることを想像しては、恐ろしくなって、自分のしたことを膨らませては、自分を攻撃してしまっていました。
もう、こんなことをする私は免許を返納するべきだ、くらい思いましたし、車なんて乗らない方がいい、って思いました。
誰も傷つけることはなかったのですが、大好きな車で大切に思っていたので傷つけてしまってショックでしたし、本当に申し訳ないことをしたと言う気持ちでいっぱいで・・・特に、その当日は罪悪感に押しつぶされそうになってしまいました。
反省しすぎることによる影響
しばらくして、ふと思い出したことがありました。私が10歳くらいだった頃、私の母が、事故を起こしたことがありました。
母の事故は相手のあったことで、道路を走行中に大きなトラックに、ぶつかりにいってしまったみたいだったのです。幸い、双方に怪我はなく、相手の方も良い方で、きちんと話し合いをして保険で全て直すという方向になったのでした。
帰宅してから、母はずっと目が点だった記憶があります。本人もびっくりしたし、怖かったんだと思います。私もその気持ち、とってもよくわかりました。あの時の母、自分の不注意と一瞬の出来事に、激しく自分を責めただろうな、と。
問題は、その後です。罪悪感に耐えきれなくなった母は、2度と運転をしないと誓いました。もう、運転したくもない!と、言いました。
その母に対して、父も言いました。『その方がいい。もう運転するな。向いていない。』と。
母はそれ以降、2度と運転席に座ることはありませんでした。その代わり、ものすごい「失敗感」を抱えたままになってしまったのです。
自分は大失敗をした、もう運転する資格はない、と。
もちろん、ぶつかってしまったことは相手の方に多大なご迷惑と、精神的にもストレスを与えてしまったこと、それは本当に申し訳ないことだと思います。だけど、誰も怪我をしませんでしたし、法律で罰せられるようなことにもなりませんでした。保険で相手の方の損害にも、きちんと補償をさせていただくことができました。
なのに、母はその後も自分を罰し続けたのです。「今後は一切の運転を禁ずる」、と。
昔から、心配性で不安神経症だった母は、その後はますます誰かが運転することを過剰に心配したり、事故が起きるのではないかと言う不安で、常に怖れてしまうようになりました。
2度と運転はしなかったわけですから、母が2度と交通事故や車での事故を起こすことはありませんでした。
だけど、母の失敗感と不安感は結果的に、大きくなったまま、消えることなく残ってしまったように思います。自信のなさを、他の面においても深く刻んでしまった出来事になったのではないかと思うのです。
何があっても自分を信じてくれる人の存在
母にそんなことがあったから、多分、私も咄嗟に、自損事故ではあったものの、直後には、『ああ、もうこんな私は免許を返納した方がいいのかもしれない・・・』と、思いました。
そして、おそるおそるでしたけど、夫に言いました。『ごめんね。もう私、運転しない方がいいよね・・・』
って。
すると、夫は言いました。
『事故や失敗は誰にだってある。この失敗をどう活かすかが大切で、ちゃんと気をつけながら、これからも車に乗ったらいい。』
私は、ちょっと泣きました。
信じてくれることが、ありがたい、って思いました。これからはきっと、もっと気をつけて運転するだろう、って、ちゃんと私を信じてくれたんだな、って思えました。
自信を失っていた私です。でも、そうやって信じてくれる人がいるなら、もう一度、自分で自分を信じてみよう、って思いました。
今、代車を貸してもらっています。その代車が来た時に、夫が『乗ってみたらいいよ、練習しよう。』と言って、横に乗ってくれました。
事故をしてから約1週間ぶりに、運転席に座りました。全く同じ車種を用意してくださったので、色は違えど、車内は全く同じ。ちょっと怖くなりました。
だけど、『ゆっくり行けば大丈夫。』と夫が言ってくれたので、その言葉を信じて、深呼吸して発進させると、すぐに感覚が戻りました。
近くのスーパーまで、私が運転していきました。よく行くスーパーです。駐車も問題なくできましたし、何一つ、事故の前と変わらずに運転できました。
大丈夫、って思えました。「2度と乗らない」とまでは思わなくていいかもしれないと思いました。私の生活、仕事に行くには車の方が断然便利ですし、子供達の送迎にもよく使います。なくてはならないもので、こうしてまた車に乗れることは本当にありがたいって実感したんです。
そして、何よりも、もう一度、自分を信じてみようと思えました。大丈夫、きっと大丈夫。あんなふうに焦ったりしなければ、大丈夫。もっともっと、気をつけよう。そうしたら、大丈夫。
もし、私の父が、母に対して『大丈夫だよ』って言っていたら、どうなったかな・・・それでも、罪悪感の強い母は、2度と乗らなかった気もします。でも、失敗したままで終わらせてしまわなくても良かったかもしれない、って思いました。
やっぱり、自分で自分を信じられない時に、何があっても自分を信じてくれる人の存在ってとても大きいと感じました。
ここで私も運転免許を返納していたら、2度と事故を起こすことはありません。100%ありません。
でも、確実に自分のことを制限して、窮屈さを感じたまま、自分を責め続けることになったんだろうな、って想像できます。『あの時に事故さえしなければ・・・』って。
そして、車による事故を起こすことはなくても、他で不具合を起こしてしまったかもしれない、って思うんです。私の母がまさにそうです。その後、少しずつ、いろいろな面で自信をなくし、いろいろな面で自分を制限していったように思います。
事故の種類や大きさにもよりますし、時と場合にもよります。私の場合は本当に誰も巻き込むことがなくて、良かったと思っています。
どんな事故でも、起こさないに越したことはない。
とはいえ、事故が起きてしまうことは誰にだって可能性があること。
大いに反省をしたら、その失敗を次にいかして、また前を向いて生きていく。この経験を無駄にしないように心にちゃんと受け止めて。
そんなふうに思えるようになったのは、自分を信じてくれた夫のおかげでした。
そんな夫を、もう驚かせたり悲しませたりしたくないから、これからもきちんと気を引き締めようと思っています。くたびれすぎるまで疲れを溜めないこと。そして、朝はちゃんと余裕を持って、家を出ることも、含めて。

私たちには、自分を信じてくれる人、自分を肯定してくれる人が必要で、自分が弱っていたり、迷いの森に迷い込んだような時にも、「自分を信じてくれる人」こそが、また明るいところへ出られるように導いてくれる「光」になるのだと、心から思った出来事でした。
・・・それから。この出来事が辛くて大先輩のカウンセラーさんに泣きつきました。すると、こう言ってくださったんです。
『私やったら、確実に、厄を落とした!!って思うよ!!だから大丈夫!!』
って。
この言葉にも、とても救われました。
私がダメなんじゃなくて、厄を落としたのだ、と。
だからもう大丈夫。って。
先輩カウンセラーさんも、そう、きっと私を信じてくださったのだと・・・心から感謝しています。